長くなってしまった。
◾️ノートルダムの鐘
前半が特に面白かった。
たぶん、前半の方が挿入歌が多くて主役たちの葛藤が歌われてるからだと思う。
後半ももちろん面白かったのだけど、「前半が良かった」と思うのはやはり、序盤で描かれた葛藤に見合うだけの解決がなかったからなのかな…とも思う。
劇中では「Who is the monster and who is the man」と繰り返し歌われていて、
単純な解釈なら「怪物と指差されたカジモドも魔女と蔑まれたエスメラルダも同じ人間だよ」という話なのでしょうけど、
秩序を守る立場とエスメラルダへの愛で板挟みになって葛藤するフロローもまた人間らしかったのにと思う。
フロローは死ななければならなかったのか、
フロローひとりが怪物と化して死んで、カジモドは民衆に人気のあるエスメラルダ達の手招きで皆に受け入れてもらって、
それで解決なのだろうか、
そもそもカジモドを貶めたのは民衆なのだが…と思わざるを得ない。
けど、このスッキリしない終わり方もわざとなのかもしれない。
この問題は現実でも未だ解決していないから、このモヤモヤを抱えたまま葛藤して進んでほしいということなのだとしたら、すごい映画だ。
原作も読もうと思った。
◾️ムーラン
ノートルダムの鐘の面白さが主に前半だったのに比べて、こっちはずっと一定の面白さがあった。
後半に挿入歌が少なくなりがち問題をある方法により解決していた(たぶん)。
マスコットのムーシューにも彼のストーリーがあり、準主人公的な立ち位置で話から浮いてない。シャン隊長もまた親の七光りといわれ逆境の中にある。
主にムーランとこの2人が主役といえるのかな。
今回、悪役が悪役に徹しており主人公たちの利害が一致しているので割りを食う主役がいない(この利害の一致による共闘、という図もかっこいい)。
ただ、フン族の単于も小粋なジョークや演出を効かせてくる憎めない奴で、いわゆる野蛮な侵略民という描き方ではない…と思う。
(「力押しに頼る」という点は、ムーランがいなければ味方も同じだった)
前半でかっこよく感動的に使った「I'll Make A Man Out Of You」を後半みんなで女装するシーンであえてコミカルに貶すような使い方をしていて、「この曲もちょっとおかしいよな!」と自ら皮肉をやってる(たぶん)のスマートだな…と思った。
「この曲はめちゃくちゃかっこいいけど、『Be a man(男になれ)』でもないんだよ」と。
それを説教めいたセリフもなくただ挿入歌の一節をサラッと流す演出で済ませてるのカッコ良すぎる。
あと、時代ものにありがちな「主人公だけ現代の価値観を持ってる現象」が控えめだった気もする。
あくまで6世紀の中国という時代設定で、無理のない範囲で問題が解決する感じ。
90年代のディズニー作品を観ていると、「この年代にこの問題と向き合って、アニメーションにしようと思って実現した人たちがいたんだ」と思って泣いてしまう。
あと、単純に「色が綺麗」とかでバチバチに泣いています。
おわりです。